数寄屋造りの茶室を囲むお集まりに便利な京の真ん中。
八代将軍吉宗の時代に、秋田佐竹の流れをくむ佐竹十郎兵衛が、美濃の国(現在の岐阜県)大垣から京へ移り、三条大橋のたもと(現在の縄手通り)の一角に腰掛茶屋を開いたのが「美濃吉」の始まりといわれています。 ※腰掛茶屋とは、豆腐田楽など軽食や酒を提供する屋外に仮設した掛け小屋のようなもの その後、代々当主は「美濃屋吉兵衛」を名乗ります。川魚生洲料理屋としての形をととのえ、江戸時代後期には京都所司代から認可を受けた川魚生洲八軒のうちの一軒として川魚を主体とする料理屋を営むようになり多くの歴史を得て今日に至ります。 また、平成6年には、この竹茂楼が京都市景観賞を受賞いたしました。